mitosaya薬草園蒸留所

このWEBサイトはアルコール関連のWEBサイトで、20歳以上の方を対象としています。
あなたは20歳以上ですか?

YESNO

menu

6月
食べられる花のようなもの

June 2018

写真:濱田英明

田舎に暮らし始めると、道の駅」が文字通り都会における鉄道の駅のように生活の一部になる。八百屋やスーパーと同様に普段の買い物をする場所だが、品揃えは訪れる度にけっこう違う。特に極端なのがフルーツで、いちごばかりが並んでいたと思ったら、青い梅が出てきて、スモモに桃、とこの時期は週ごとに品揃えが変わる。ただ、それが不便かというとそんなことはなく、あるものに従えばいいだけの話なのでかえって楽ともいえる。

一方、生産者にとっては自分の作ったものを売る場所でもある。生活の一部というならば、両方の立場から関わるのが筋だろう。ある日、レジで会計を済ませた後に、道の駅に生産物を置きたいと相談してみた。生産者と知り合いになりたいという思惑もある。

意外とあっさり。申し込み用の書類を渡される。一通り書いて提出すると、現場を見に来てくれて、問題なしと判断されたのか、600円で生産者用の帽子を買う。この帽子が裏の搬入口から出入りできる鍵になる。

さて、何を売ろうか。道の駅の人たちは蒸留酒を売ることを期待しているようだが、残念ながらまだタイミングではないし、むしろ違うものを置いてみたい。生活に必要か不要かよくわからない、でもあるとうれしいものを売れたらいいなと思う。

打ち合わせの合間にちょっと時間があったので、国立近代美術館で始まった ゴードン・マッタ=クラーク展を見に行く。家を真っ二つに切るビルディング・カットや、アーティストたちが運営する食堂「FOOD」などの活動は知っていたが、他のことははほとんど知らなかった。

町や社会にアートを介入させていくという作風で知られる彼も、1960年代後半、アーティストとして活動を始めた頃はギャラリーなどのスペースで普通に作品を展示していた。転機になったのは、ニューヨーク ソーホー、グリーン通り112番地の自主運営のアートスペース。様々なアーティストたちがサイトスペシフィックな作品を発表し、パフォーマンスを行う傍らで、彼は何を思ったかこのビルの地下室に引っ越し、穴を掘り始めた。ビルの重量を穴を掘ることで解き放つ、という意図で行われたそうだが、硬い地盤に阻まれて思ったほど穴は掘り進められない。しかし、その穴に桜の木を植えて展示をしたところ、地下室という閉鎖的な空間と、芽吹き花を咲かせる植物との対比が強烈な印象を残し評判になる。それから、彼は場所自体を作品の素材として考え始めたという。

図録を眺めていたら、FOOD」のアイデアの元になったのは、彼が友人のアーティストの誕生日パーティに、花束ではなく食べられる花を持ってきたから、という記述があった。今でこそ馴染みのあるエディブルフラワーだが、当時は珍しかったのかもしれない。飾るだけではなく食べられる、食べられるだけじゃなくて飾れる。一輪の花がいくつかの役割を持ち、それを自分たちの環境に置きかえ、自分たちが働きながら食べられるレストランが生まれた。その会話を想像し、発想の飛躍にワクワクする。

社会的な立ち位置を語られることが多い「FOOD」だが、ゴードン・マッタ=クラークにとっては、食べ終わった動物の骨をネックレスへとリサイクルしたり、生きたエビを供するなど、食べ物を使ったアートショウを行うという一面もあった。

食事の共同性ももちろん大切だが、ただ皆で食べればいいのかというと、それでは学校の給食と変わりない。

作る人、使う素材と提供するメニュー、集う人、場所の設え、地域との関わり。それぞれに工夫があるのが理想だが、経済活動という大きな壁も存在する。

ここまで書いて、道の駅で何を納品するのがいいのか、と考えは戻る。

- 

6月はクラウドファンディングのリターンの「蒸留所ツアー」の準備に多くの時間を費やした。月末には4日に分けて計300名もの人たちがはじめてmitosayaを訪れる。関わっている人たちと、限られた時間の中でやることを取捨すると、必然的にそれぞれが何を大切にしているかが見えてくる。

ある人は入口にサインをつけたいと、ネオン業者を探してこの日までに取り付けまで行おうと奔走する。ある人は名刺を作りたいという。ある人は来場者に快適に行き来してもらうために都内から貸切バスを手配したいという。ある人はどんな飲み物、食べ物を提供しようかと考える。そして僕は蒸留所として稼働する様子が少しでも伝わるように設備を整えたい。

あとは来た人が飲んだり食べたりできるように80名分のテーブルと椅子を用意しなくてはならない。困っていたら、ドイツからちょうど届いたコンテナが目に入った。持ち帰ろうとしる配送業者のおじさんに手伝ってもらい、クレートコンテナをバラしてテーブルの天板に、ガラスのフラスコが入っていた木枠をテーブルの脚にすることにした。

さらに、せっかくだから何か配るものを作りたい。僕以外のmitosayaに関わっている人に案内文を書いてもらった。改めて読むと、内容は見事に違っていて、それぞれが何を考えているのかがよくわかる(結果何が起こるかはまだわからない

こうして行われたツアーに来てくれた人は喜んでくれたんじゃないかと思う。

自分たちしかいなかった場所に、徐々に人が集まりはじめる。マッタ=クラークの食べられる花のような、前向きな予想外のきっかけを提供できる場所になれたらいいなと思う。